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東京パラリンピック(多様性、ダイバーシティ、2020)


はじめに


東京パラリンピックは、新型コロナウイルスにより、一年延期されると言う、稀有な大会になりました。そこには、色々な辛苦がありました。特に、パラリンピアンにとっては、死活問題でもありました。それでも、それを乗り越えて、東京パラリンピックは、開催されようとしています。ここでは、その東京パラリンピックの情報をお伝えしたいと思います。


目次


  1. 大会ビジョン
  2. この1年を延期ではなく、+1に
  3. 東京パラリンピック競技紹介
  4. 関連サイト
  5. パラリンピックの父
  6. ロスオリンピック

大会ビジョン


TOKYO2020

スポーツには世界と未来を変える力がある。

1964年の東京大会は日本を大きく変えた。

2020年の東京大会は、「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会とする。

3つの基本コンセプト

全員が自己ベスト

多様性と調和

未来への継承

東京パラリンピック委員会


この1年を延期ではなく、+1に


公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京2020組織委員会)と東京都は、2021年7月23日に開会する東京2020オリンピックの開始時刻に合わせ、今年の同日20時より、オリンピックスタジアム(国立競技場)から世界に向けてメッセージを発信した。

「一年後へ。一歩進む。~+1(プラスワン)メッセージ~TOKYO2020」と名付けられたこのイベントには、競泳の池江璃花子選手が登場。東京2020オリンピック聖火が灯るランタンを持ちながら、ゆっくりと言葉を紡いでいった。 「この大会に出るのが夢だった」という池江選手は自身の病気と重ねあわせながら、オリンピックやパラリンピックという大きな目標が目の前から、突然消えてしまったことがアスリートにとってどれほどの喪失感であるかを語った。そのうえで池江選手は、1年後に向けて、次のように話した。

「TOKYO 2020 今日、ここから始まる1年を単なる1年の延期ではなく、「+(プラス)1」と考える。それはとても、未来志向で前向きな考え方だと思いました。もちろん、世の中がこんな大変な時期に、スポーツの話をすること自体、否定的な声があることもよく分かります。ただ、一方で思うのは、逆境からはい上がっていく時には、どうしても、希望の力が必要だということです。希望が、遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても、前を向いて頑張れる。世界中のアスリートと、アスリートから勇気をもらっているすべての人のために。一年後の今日、この場所で希望の炎が、輝いていてほしいと思います」。

このメッセージの後、会場内のビジョンには、大会を目指す全てのアスリートへのエールを送ると共に、大会を支える全ての人々への感謝・敬意を込めた映像「一年後へ。一歩進む。~+1(プラスワン)メッセージ~ TOKYO2020」が流れた。

アドタイ


+1(プラスワン)メッセージ


東京パラリンピック競技紹介



関連サイト


東京パラリンピック情報

その他の情報


パラリンピックの父


パラリンピックの父

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」

これは“パラリンピックの父”と呼ばれるグットマン博士のことばです。パラリンピックの精神を最も端的に表していると言われています。彼は、それぞれに障害があり、大きな困難に向き合いながらも競技に取り組む選手たちの背中を押し、多くの人の支えになってきました。参考:NHK

日本パラリンピックの父

“日本パラリンピックの父”と呼ばれるのが、中村裕(ゆたか)博士です。

中村裕博士は大分県別府市に生まれ、1951年九州大学医学専門部を卒業後、同大学の整形外科医局に入局しました。故天児民和名誉教授の指導の下、当時未開の分野であった医学的リハビリテーション研究の道を歩み始めました。さらに、英国のストーク・マンデビル病院に留学し、ルードヴィッヒ・グットマン卿の教えを請いました。そこではリハビリテーションにスポーツを取り入れ、医師がさまざまな分野の人と連携して、脊髄損傷者の社会復帰を支援していました。このことに衝撃を受けた博士は、身体障がい者の社会参加、特に仕事を通じての自立とスポーツに情熱を注ぐことになりました。

東京オリンピックの興奮冷めやらぬ1964年11月8日、23カ国428名が参加して東京パラリンピックが開催されました。中村博士は日本選手団団長に選ばれ、日本の成績は金メダル1、銀5、銅4で、全体では13番目という成績でした。大会は無事終わりましたが、中村博士は複雑な思いに駆られていました。外国人選手は試合後も行動的で明るく、ほとんどの人が仕事を持っており健常者と同じような生活をしていました。一方、日本選手は弱々しく顔色も暗く、53人中仕事をしているのはわずか5人、他は自宅か療養所で世話を受けていたのです。この格差は、中村博士に「これからは慈善にすがるのではなく、身障者が自立できる施設を作る必要がある」と解団式で述べさせました。また、身障者スポーツの意義について「一般に社会は身障者の能力を実際以下に低く評価する傾向があるが、第3者に彼らの能力を再認識させるよい機会を与えることになりその意義は大きい」と、著書の「身体障害者スポーツ」(南江堂)のなかで述べています。

太陽の家

ロスオリンピック


ロスオリンピックのエンブレムが、発表されました。人類の多様性や未来への夢を鑑みて、史上初の“デザインの一部が動く”エンブレムが採用されました。“LA28”のエンブレムのうち“A”の部分が動いて変化する仕様で、さまざまな人種や性別の人々がデザインした全26通りとなっています。

また、2019年8月、ロスオリンピックのメイン会場が、完成しました。ロスオリンピックでは、既存の施設を活用することで、東京オリンピックの4分の1程度の予算での開催を目指しているそうです。



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